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視覚障害者テニスの普及に情熱 JR目白駅転落死の武井さん

(以下、引用です。)

視覚障害者テニスの普及に情熱 JR目白駅転落死の武井さん

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110119/crm11011923410389-n1.htm

 今月16日にJR目白駅(東京都豊島区)で、ホームから転落、電車にはねられて死亡した全盲の武井視良(みよし)さん(42)=同区北大塚=は、音の出るボールを打ち合う視覚ハンディキャップテニスのルールや用具を研究。「日本ブラインドテニス連盟」の会長を務め、国内外で普及に情熱を燃やした人だった。明るく気さくな人柄で愛された武井さん。不慮の死に、悲しみが広がっている。

 「運動神経抜群で勘が良いアスリート。ブラインドテニスをパラリンピック種目にするのが夢だった」。スポーツ心理学が専門で、ブラインドテニスの研究に協力してきた専修大学社会体育研究所所長、佐藤雅幸教授(55)はそう振り返る。

 武井さんの原点は幼少時代にあった。1歳のころ病気で視力を失ったが、兄弟と野原を駆け回る活発な野球少年だった。一方、全盲の壁も立ちはだかる。投手はできても転がるボールは捕球できず、打席でも快音は響かなかった。

 視覚障害者の球技の多くは、ボールを地面に転がして行う。「自分も普通に野球をやってみたい」。少年時代の思いは、地面に転がすのではなく、空中でボールを打ち合うハンディキャップテニスの戦いにのめり込む原動力となったようだ。

 草創期のハンディキャップテニスに出会ったのは埼玉県立盲学校(現・特別支援学校塙保己一学園)に進んだ高校1年のころ。それからはルールの整備や、音の出るスポンジ製ボールの研究を重ね、一線のプレーヤーとしても活躍した。

 ハンディキャップテニスは平成2年、最初の全国大会が開かれ、各地に競技の輪が広がった。今では300人の競技人口を誇る。武井さん自身も全国大会で何度も優勝。テニスの本場、英国などで講習会も開き、海外普及にも努めた。

 「あきらめるのは簡単。あきらめる前に努力しろ」。武井さんは高校時代、体育教師からもらった励ましを常に胸に刻んでいた。昨年4月には母校・塙保己一学園に英国の障害者スポーツ担当者と来校。生徒らの前で実演した。

 同連盟副会長の桂田元太郎さん(39)も5年前、ホームから転落して電車に引きずられ、重傷を負った経験を持つ。「私も全盲。見舞いにきてくれた武井夫妻と『お互い気をつけよう』と声を掛け合ったのに。武井さんの思いや情熱を少しでも受け継いでいけたら…」。桂田さんは悲しみをこらえ、そう語った。(中村昌史)

(産經新聞 2011年1月19日)

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