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『点字ジャーナル4月号』にて、ご紹介をいただきました。

点字ジャーナル2008年4月号(社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会発行)に、当社の事業について、ご掲載をいただきました。 

本当に、熱い記事です。 当社の設立前からの歴史が、凝縮されています。 誠に、ありがとうございます。 よろしければ、ぜひ以下の本文をご覧ください。

http://www.thka.jp/ (東京ヘレン・ケラー協会のHPです)

http://www.thka.jp/shupan/journal/200804.html#feature02 (記事のHPです)

視覚障がい者の記者である戸塚さんに、ご取材をいただきました。(ご取材風景はこちらです)

(以下、引用です。)

社会起業家の挑戦
オフィスマッサージで障害者の職業自立をめざす田辺大さん

 《最近、新聞、雑誌、テレビなどで社会起業家の特集が良く取り上げられる。田辺大(ユタカ)フォレスト・プラクティス代表は、現在日本で注目されているそんな社会起業家の1人だ。盲ろう者や視覚障害者のマッサージ師が定期的に企業を訪問して施術するオフィスマッサージの「手がたり」(注)を、東京都内で展開している。2月27日午後、「手がたり」が事務所を置く、東京都文京区の共同オフィスの一角で田辺さんから話を伺った。取材・構成は本誌編集部戸塚辰永》

きっかけは震災ボランティアから
 田辺大さんは、1970年(昭和45)生まれの37歳で健常者。いわゆるどこにでもいるような子どもとして、さいたま市で育った彼は、大学に進学すると、夏はテニス、冬はスキー、夜は居酒屋でのバイトに明け暮れた。そんな平凡な日々が様変わりしたのは1993年(平成5)7月の北海道南西沖地震を契機としてであった。震源地に近い奥尻島では地震と津波による死者・行方不明者が230人、加えて直後の火災でおよそ400棟が消失し、島は一瞬にして焼け野原とがれきの山と化した。当時大学4年生だった田辺さんは、知り合いのつてを頼ってすぐさま現地入りし、5カ月間ボランティアとして住み込みで被災者を支援した。
  その当時のことを彼は、「それまで普通の大学生でしたが、1夜にして難民に変わってしまうという人間のもろさを、まざまざと現場で見聞し、色々考えることがありました」とこれがどうやら「手がたり」の原点となったようだ。当時はNPOなどという言葉すらなく、ボランティア活動で生活できるはずもなく、田辺さんは大学卒業後、日野自動車に就職した。
  奥尻島での体験を心の奥に抱えつつ働いていた1995年1月17日未明、兵庫県南部地震が発生。この未曾有の大規模災害は、その後、政府により「阪神・淡路大震災」と命名されることになる。週末に現地に駆けつけた田辺さんは、被災地で必要なものはトラックだと直感した。そこで帰るやいなやアポなしで社長室に押しかけ「社長!日野のトラックを被災地に送ってください。今こそ会社が社会に貢献するチャンスです。日野のロゴの入ったトラックが走れば、企業のイメージアップにもつながります」と直訴した。残念ながら彼の熱意は社長には届かなかったが、その行動力は瞬く間に社内で話題になった。彼は当時を振り返り、「入社間もない社員が、社長を捕まえて説教するなんて組織としてはとても使いにくい社員だったでしょうね」と苦笑いした。
  日野自動車で5年、外資系のケミカルメーカーに1年勤めた田辺さんは、「30代はエキサイティングな仕事に挑戦したい」と考え、そのためには「外資系のコンサルティング会社が能力を引き延ばしてくれるはず」と思って転職。そこでの業務は、大手企業を相手に経営の合理化・効率化を提示し、企業利益の最大化を追求するもの。「今は就職口を増やす仕事なので、当時とは対極に位置しますね」と笑う。
  コンサルティング会社ではマレーシアでのプロジェクトにも参加、発展途上国に関わる仕事に携わり、ある程度エキサイティングな仕事も出来た。しかし、睡眠時間は1日2、3時間。激務を続けた彼は、とうとう2002年の夏に肩や頭の激痛で夜中に目が覚めるようになった。「普通コンサルタントは先々の見通しをつけて、次の行動を起こす人が多いのですが、とにかく一旦仕事を辞めて中長期的なことを考えよう」ときっぱりと退職。そして、彼は知り合いの紹介で南米・エクアドルのコーヒー農園を訪問するエコツアーに参加したり、米国・ボストンの英会話学校でビジネス英語を学ぶなど、4カ月間にわたる自分探しの旅に出た。
  英会話学校の近くには、ハーバード・ビジネス・スクールやケネディ・スクールといったハーバード大学の大学院があり、そこでは世界中のエリート留学生が学んでいた。文化、宗教も異なる学生たちの刺激的な会話の中で、彼は「ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)」という耳慣れない言葉に出会い、それが社会の課題をビジネスで解決する人たちのことだと知った。「これまでは、政府が税金を使って問題を解決しようというスタンスをとってきましたが、どの国の政府もお金がありません。そうすると、商人の知恵と活力に期待しようという訳なんですね。つまり、福祉だとか、環境問題だとか、子どもの教育だとか、過疎化の問題だとか、そうした社会の課題をお役所ではなくて、ビジネスの手法を用いて解決しましょうということです。それが社会起業家の役割なんです」と解説する。
  2002年当時、日本にも社会起業家はすでに存在していたが、その大部分は市民運動あがりであったため経営には無関心か、距離を置く人ばかりで、食べていけないで苦労していた。一方、田辺さんはコンサルティングの経験や知識を、経営改善に活かせるのではないかと考え、2003年1月に社会起業家を対象としたコンサルティング会社のフォレスト・プラクティスを日本ではじめて起業した。
  彼が最初に手がけた仕事は、フェアトレード。これは、発展途上国の生産者にあらかじめ対価を保証して物を仕入れ、貿易をする形態をいう。田辺さんは、フェアトレードで仕入れたコーヒーを焙煎・販売する会社の経営コンサルティングを手がけた。その会社は、NPOで活動してきた20代半ばの青年2人でやっており、経営はずぶの素人。しかし、事業の将来性に希望を感じたので2005年まで経営をアドバイスした。すると、業績も倍増し給与はなんと5倍になった。「これで社会起業家では飯が食えないことはないと実感しました。実際、去年その会社の代表がついに結婚して、家庭を持てるようになりました」と嬉しそうに語る。田辺さんは、いくつかのNPOの事業経営のコンサルティングをし、そのノウハウを身につけたのだ。

妹の結婚と「手がたり」の始まり
 田辺さんには弟と妹がいる。妹は福祉の仕事をしながら、盲ろう者友の会で通訳・介助ボランティアをしており、2001年の4月、「友の会で知り合った盲ろう者と結婚したい」といきなり切り出され、びっくりしたという。それまで田辺さんは、障害者に接したことはなく、盲ろう者という言葉自体そのときはじめて知った。当然、結婚にあたって家族の中で嵐が吹いた。しかし、彼らに子どもが授かると共に、家族も丸く収まった。そういう経緯で、それまで縁の無かった盲ろう者と話し合う機会が出来た。
  フォレスト・プラクティスを起業した2003年、田辺さんは盲ろう者とお茶を飲みながら話していたら、「ほとんど仕事がない」という切実な声を当事者から聞いた。なぜかと尋ねると、盲ろう者の場合は目と耳に障害があるので、通訳・介助者が必須だと、就職活動時に話すと、企業の人事部は、それならコストが2倍になるので、1人で勤務できる人を雇用しましょうという話になるのだ。田辺さんは、こうして改めて盲ろう者の社会参加の厳しさを知った。
  現在、妹には2人子どもがおり、盲ろう者の問題は、田辺さんにとっても家族の問題となった。盲ろう者自身も自治体などに、雇用に取り組むよう働きかけているが、なかなかすぐに雇用には結びつかない。そこで、田辺さんは、それだったら盲ろう者が働ける場を作ろうと思い立つ。「社会の課題を解決するのは社会起業であり、今こそ出番だ」と考えたのだ。
  田辺さんは、盲ろうの義理の弟である渡井秀匡(ワタイ・ヒデタダ)さんと同じく盲ろうである藤鹿一之(フジシカ・カズユキ)さんの3人で、2004年1月に事業に関する話し合いをはじめた。そこで、盲ろう者は健常者に比べて指先の感覚が繊細であり、その特色を生かした仕事のマッサージが出来ないかという話になり、フェアトレードのコーヒーを出すカフェとマッサージを提供する店舗を思いつく。そして、ある団体からも助成金をもらうことも出来、JR中央線西荻窪駅近くに物件が見つかり、開店準備に取りかかった。そんな矢先の2005年5月、融資交渉をしてきた金融機関から、突然「前例がない」と通告され、カフェ計画は頓挫してしまった。
  「やっとこれで風穴が開くんじゃないかと夢を賭けてくれていた盲ろう者や通訳・介助者たちに解散せざるを得ないことを伝えたときは、本当につらかった」と彼は言う。そして、開店スタッフを予定していた盲ろう者の星野厚志さんから、「これで盲ろう者が働けなくなるのか」と言われ、彼は「元手がかからない訪問のマッサージにはまだ可能性がある」と応じた。すると「手弁当でもいいからそれに賭けてみたい」という、切実な声が聞こえた。星野さんの熱意に突き動かされた田辺さんは、2人で社会貢献に熱心な企業なら訪問マッサージを受け入れてくれるかも知れないと、企業巡りをはじめた。社会貢献のセミナーにも出向いて訪問マッサージをアピールしたものの、必ず通訳・介助者がつくと、コストが2倍になることが指摘された。
  「まず、会ってくれませんでしたね。また、会ってもらった場合も話は厳しかったのです」と言う。ひたすら地べたをはいずり回るような、苦しい状況が約1年間続いたある日、心配した知り合いが「企業は敷居が高すぎるし、新しいことに取り組むのには時間がかかるから、個人をターゲットに、月1、2回のマッサージイベントをしては」と提案してくれた。そこで、2006年1月、現在のオフィスを月に1回借りてマッサージイベントを何回か開催。しかし、こうした試行錯誤の結果、景気のいい頃とは違って個人消費は落ち込んでいるので、待っていても客はこない。ましてやマッサージ業界は値崩れが起こり、これでは盲ろう者が妥当な給料をもらうような状況にはないと田辺さんは判断。企業を相手にする方が、まだビジネスチャンスがあると、またもや軌道修正。
  そして、2006年5月、カネボウ化粧品の子会社の(株)エキップの担当者と面談し、これが契機になった。「前例がないということであれば、やってみよう」という話になったのだ。早速、翌朝には採用決定を知らせるメールが届き、翌月から月2回のオフィスマッサージが始まった。当初のマッサージは1人10分で、21枠分の予約はすぐに埋まった。その日、仕事を終えたスタッフ全員が、「盲ろう者が働けないというのは嘘だった」と実感した。そして、マッサージを受けた感想を聞いたところ、「はじめて社内に癒しの風が吹いた」とか、「社内にいながらにして会議室でマッサージが受けられるのは本当に助かる」などと、大好評だった。
  手応えを感じた田辺さんたちは、他社にも早速アタック。しかし、「その会社がちょっと変わっているんじゃない」、「就業時間中にマッサージなんて、とんでもない」と断る企業ばかりで苦戦した。そんなとき「手がたり」に関心を示してくれたのが新聞やテレビ。社会貢献にもなるし、従業員の病気予防にもつながるものとして紹介してくれ、流れが変わった。
  オフィスマッサージは、従業員数20人から約200人の中小企業を、月に数日訪問し、マッサージ施術を行うという形態をとる。「中小企業は、大手企業のようにマッサージ専用の部屋を作って、ヘルスキーパーを常勤雇用できません。けれども、従業員は疲れています。会社が成長するためには、人に投資しなければ成長は期待できません」というのが殺し文句。そして、新聞やテレビを見て関心を持った中小のIT企業などから問い合わせが相次ぐ。こうして、「手がたり」をはじめた当初は、従業員の給与は1、2万円しか出せなかったが、昨年(2007)夏には6万円。導入する企業が10社を超えた今では15万円を超えた。
  さらに事業を軌道に乗せ、一段と飛躍するきっかけは、2007年1月に名古屋で開かれた日本産業ストレス学会に参加し、産業医や心療内科医など心の健康についての専門家と出会ったことだった。それまで、田辺さんたちは、社会貢献を切り口に営業を行っていたが、学会後からメンタルヘルスの面からオフィスマッサージをアピールすることに営業方針を転換した。
  現在の「手がたり」事業は、法人や団体を訪問し、施術するオフィスマッサージ事業と、最近取り組みはじめたヘルスキーパー事業の2つ。オフィスマッサージは、前日に組み立て式のマッサージベッド等を宅配便で企業に送り、翌日会議室に設置する。設置準備は20分で済み、10時から18時まで施術、そして機材を解体・発送する。
  「手がたり」では施術者の他に、コンダクターと呼ぶ健常者を1名同行させる。コンダクターの役割は、マッサージ師の移動・介助の他、盲ろう者には指点字通訳、マッサージ室の設営・予約管理、接客。普通、障害者を雇用すると、他の社員にある程度の負担が生じる。その点、「手がたり」ではコンダクターが、その分の負担を代行する。田辺さんと共に外資系のコンサルティング会社で働き、昨年8月から「手がたり」事業の現場を統括する菊池健(タケシ)さんは、「手がたり」では施術者とコンダクター2人で接客する形をとることが特徴だと話す。
  現在「手がたり」で働くマッサージ師は、正社員が1名(視覚障害者)、アルバイトが3名(盲ろう者2名、視覚障害者1名)。コンダクターは専任が1名で、登録アルバイトが約10名。会社としては障害者と同時に、健常者の職域開拓も進めているという。
  ヘルスキーパー事業をはじめるようになったのは、オフィスマッサージを通じて企業との関係が構築されると、ある程度の規模の企業から「お宅のマッサージ師を雇用したい」という要望を受けるようになった。その背景に障害者雇用促進法の雇用率達成のためにヘルスキーパーを雇いたいという理由がある。
  しかし、「ヘルスキーパーは全国で約1,000人、関東地区だけでも約400人おり、求人は増加していますが、ヘルスキーパーに対する認識はまだまだ低い」と菊池さんは言う。先進事例等を分析した菊池さんは、「同じ三療でも、治療院、サウナ、病院、特養などそれぞれスキルが異なる。同様に、オフィスでマッサージをすることは、内容や技術も全く違います。しかし、企業の人事部は、そういう違いがわかりません。また、三療業の人たちもオフィスマッサージのイメージにとまどいもあるので、ノウハウを持った我々が橋渡しをしています」と説明する。
  「手がたり」では、東京・中目黒の障害者の人材紹介会社と提携して、ヘルスキーパー事業を展開しはじめた。また、視覚障害者へのIT機器販売を手がけるアットイーズの稲垣吉彦社長にも依頼。失明前銀行員としてのキャリアを持つ稲垣社長は、企業、視覚障害者双方の気持ちがわかり、提案が出来る。「手がたり」では企業での定着化支援やヘルスキーパーへの技術向上のための勉強会なども計画してサポートする予定だ。「手がたり」としてのヘルスキーパー第1号の契約に向けて、現在大詰めを迎えている。
  「手がたり」は田辺さんと星野さんでスタートした事業だったが、昨年4月から社員を増やし、組織化を進めている。「1つの企業なので、提供する技術やサービスの質の均一化が必要だと訴え、それを理解してもらうのに苦労しました」と菊池さん。また、コンダクターの意識を改革するのにも大変だったという。菊池さんは、立場上マッサージ師に注意しなければならない。当初、コンダクターから「かわいそう」という言葉が良く出た。しかし、会社なので、社会人として勉強して欲しいところ、技術面で不足しているところは厳しく指摘する。菊池さんは、あくまでもビジネスパートナーとして接するようコンダクターに要望しており、「自分自身の意識も変えなければならず、人間としても成長させてもらった」と語る。
  オフィスマッサージを導入した企業の反応は、「会社もいいことをやってくれる」という社員の評判があがり、会社への帰属意識の向上につながっているという。また、中には、一生懸命働いている障害者と話して感動したという感想などもあるという。
  障害者が「手がたり」に参加して、より仕事に前向きに取り組むようになったという。ある場面では、予約表を見た星野さんが10分のマッサージよりも30分のマッサージを予約する人が増えたことに気づき、「これではマッサージを受けられない人が出てくるから社長に直接話してみたい」と言い、無事交渉に成功。施術日数も月2日から4日に増やしてもらった。それを聞き、「これこそ社会起業家の精神が身に付いてきた証拠」と田辺さんは喜んだ。
  取材の最後に、田辺さんは、「なかなか社会に出るチャンスが無くてもがいている人も少なくありません。壁に阻まれてさいなまれている人もいます。しかし、その壁をドアと見ると、新たな展開が生まれるはずです。『手かたり』は、障害者由来の全く新しく生まれてきた事業です。これまでの福祉とは違って、健常者が場作りをしてくれるものではなく、自らがやっていくものです。興味を抱いた方はぜひ連絡してください」と述べた。フォレスト・プラクティスの連絡先は、電話03-3815-6667。
  (注)手がたりとは、指点字や触手話といった盲ろう者のコミュニケーション手段の総称で、事業名の「手がたり」はそこから命名された。

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